自己評価が高い外国人社員に対する適切なコミュニケーションとは?

私は以前、東南アジアで計6年ほど会社の経営やマネジメントに携わっていた。その時にけっこう手を焼いたのが、やたらと自己評価が高い外国人社員への対応である。今日はこの自己評価が高い外国人社員に対する適切なコミュニケーションを題材にしたい。

転職すればするほど魅力的?

これはよく言われることだが、海外では”ジョブホッピング”をしている人を結構見かける。

日本においては「石の上にも3年」と言われるように、”1つの会社に一定期間勤めることが信頼を生む”という意識が強い。一方で、海外の一部の国においては短期間で転職を繰り返して給与・ポジションを上げていくという考え方も存在している。給与制度もまだまだ年功序列が色濃く残る日系企業とは異なり、海外では年齢によって給与が左右されることもなく、経験、能力、実績などによって人材がフラットに評価されやすい。

とりあえず1つの会社に入って一定の成果を上げると、よりサラリーの高い同業他社とかに転職して待遇を上げる。さらにその会社で短期的に成果を上げて、外部からよりさらに高いオファーをもらう、といった感じのキャリアアップである。実際にそういうレジュメ(職務経歴)を持つ人をよく見かけるし、企業側もそれが必ずしも悪いこととは認識していない。日本人の感覚するとやや違和感があるのだが、採用面接などでも半年や1年での短期離職を問題とすることも多くない。むしろ1つの会社の同じポジションで何年もずっと留まっていると、「何も成長してないのかな?」とエンプロイアビリティの向上を疑われる場面すらあるのだ。

サラリーを上げるためにジョブホップする。こういったカルチャーは、日本人には馴染まないが海外では割と一般的だ。

根拠のない自信と個性的なPR術

とはいえ実際問題として、1つの職場で、ある程度周囲から認められるような成果を上げるには、2~3年は時間が必要だと思う。
仮に私が転職したとしても、まずは社内のメンバーや顧客との関係性を構築するのに最低でも半年はかかる。その後、成果が出せるように工夫しながら取り組むことで、小さな成果が出せるのが早くても1年後だろう。さらにそれを推し進めて、誰もが認める大きな成果に繋げていくためには最低でも2年、平均的に3年くらいはかかるというのが、私がこれまでのビジネス経験で得てきた感覚である。

しかし、海外ではそこもお国柄の違いなのだろう。小さな実績しか出していなくても、いやほぼ実績なんて出していなくても、「自分は凄く高い能力を持っていて、大きな実績を上げた」というように人前でプレゼンテーションを出来る人が多い。「その根拠はどこから出てきたの?」と思うほど、自信を持って自分のことをアピールしてくる人が多い。

ちなみに日本において、採用面接の時には履歴書と職務経歴書を提出すると思うが、履歴書は基本的にほとんどの方が同じフォーマットを利用しているだろう。職務経歴書も人材紹介会社などでも推奨されている一般的なwordを使ったフォームを利用することが多いと思う。これは出る杭は打たれるという話に近く、個性的なレジュメを提出すると「変わった人だ」という印象を与え、必ずしも面接でポジティブな印象を残せないからだと思う。

そういう自己PRが上手い人は、実際に面接もスルスルと通過していくのだ。

不思議と許される外国人採用におけるスクリーニング不足

日本人の場合、「〇〇が出来ますか?」と言われても、後先のことを考えしまい、 そもそも経験 したことが無いことを「できます」とはまず言わないだろう。「今までにその経験はありませんが、今後努力してキャッチアップ致します」といった答え方をするのが、こと日本においては100点満点に近い回答かも知れない。これはこれで良いのだが、ここも外国人の行動とはやや異なる。外国人の方の中には、経験も知識のバックボーンすらもないのに、出来ないことを平均で「できます」と即答をしてくる人がいる。

実際に私も複数の国で採用活動を行っていたが、根拠のありかはさておき、「自信」をハッキリ示す印象にある。

しかしながら、実際に入社してみると「できます」と言っていたことが全くできない、ということも多い。面接で「できます」と言われたことが、入社してみたら出来なかった場合、それが日本人であれば大きな問題になるだろう。採用された側も「嘘をついた」と非難をされるだろうし、採用した側も「なぜちゃんと見抜けなかったんだ」と飛び火するかも知れない。

しかし、それが外国人である場合はどうだろう。実態としては「仕方がない」で済まされてしまっているケースが多いのではないだろう。なぜならば、面接を日本語でやる場合は、「日本語力の問題で、応募者が上手く質問の意図を理解できていなかったのではないか?」という面接官の忖度が入ってしまったりする。逆に面接を英語でやる場合などは、「自分の英語力の問題で、ちゃんと意思疎通が出来ていなかったのではないか」と考えてしまう。
そうして、”外国人であれば多少のスクリーニング不足は仕方ない”という雰囲気が許容されてしまいがちになる。

そうした状況を防ぐには、企業の採用担当の目線で言うと、「何が出来るか」「どんな経験があるか」という単発での質問をするだけでなく、「具体的にどのような業務やプロジェクトを通して、その経験や知識が身に付いたのか?」「その経験や知識をどのような形で当社の業務に活かせるのか?」といった質疑を通して、彼らが示す自信に対する裏取りが必要である。実際には必要以上に自分を良く見せようとしているだけの場合も多いので、「私たちは採用において誠実さ(Honesty)を重視している。あなたの人間性を知りたいので、質問にはぜひ正直にお答えください」と前置きをしてから、面接を進めてみても良いだろう。

評価すり合わせの場面における認識齟齬

また、評価の場面でのすり合わせも大切だ。

よく上司と部下で自己評価と会社評価のすり合わせを実施するケースがあると思う。 私も何度も経験があるが、外国人の部下との評価のすり合わせにおいては、例えば5段階評価で職務能力(コンピテンシー)などをすり合わせる場合、本人評価が大きく平均から上振れて、上司の評価と大きく乖離することがある(逆は見たことが無い)。
5段階評価なのであれば、あくまで平均的な達成度合いであれば評価は3になるのだが、そんなことをお構いなく、「自分はオール5である」といった自己評価を付けてくる外国人社員も多い。そういう自己評価をつける外国人社員に話を聞いてみると「〇〇をやったのは自分だから」「△△が良い感じで進んでいる」「✗✗は私のリーダーシップで成功した」といった感じの、かなり誇張が混じったPRが出てくるのである。

これはそもそもの人事制度(評価制度)への理解が不足していることも大きな要因ではあるのだが、やはりカルチャーの違いも原因となる。自分で低い自己評価をつけることは、「自分の成果に対する自信がない」ということになり、最終評価が下振れしてしまうことを恐れているのだ。しかし、何度かこういった評価プロセスを繰り返し、「日本では自分をより良く魅せようとプレゼンをするよりも、自分自身のことを客観的に捉えることが出来る人が評価される」、ということを理解してもらうことで、こういった評価における認識齟齬の問題は解決できる。

海外と日本の両方で採用・評価を行ってきた印象から見ると、やはり日本に長く住んでいる留学生だったり、在留歴が長い在日外国人の方は、この辺の目線が大きくズレていない印象だ。日本人が単身海外に乗り込んでいって外国人をマネジメントするのと、 日本人的な考え方・価値観を多少なり学んでいる外国人を日本でマネジメントするのとでは、アプローチ面でだいぶ難易度も違うかも知れない。

自己評価が高い外国人社員をどう扱うかは国内外で活躍が期待される日本人マネージャーにとって、今後も重要な課題となるであろう。
これは私の個人的な考えだが、彼らは決して自信過剰だから自己評価が高い訳ではない。個人主義が中心の海外(特に英語圏)では、自分で生き残らないといけないという文化もあるし、出来ないことを責める教育ではなく、出来たことを褒める教育をしてきている。根底となる自己肯定感が日本人とは異なるのだと思う。

彼らが持つ”自信(Self confidence)”を上手く引き出してパフォーマンス向上の支援をしつつ、きちんと会社が期待していることや望んでいることを理解してもらうこと、これが異文化マネジメントにおける1つの要諦ではないかと思う。

職場の6人に1人が外国人になる2050年について考えてみよう

2050年なんて遠い先?

皆さんは「2050年なんて遠い先」と思っているかもしれない。

しかし40代、50代の方は2021年になった現在になっても、1991年のことを鮮明に覚えている方が多いと思う。1991年と言えば日銀の総量規制が出た翌年、日本のバブルが壮大に弾けていたころだ。バブルを知っている世代からすれば、「もうあれから30年経ったのか」と感慨深いと思う。

30年前、私は小学4年生だった。
学校では野球部とサッカー部の両方に所属していたが、野球部ではキャッチャー、サッカー部ではキーパーと、花形のポジションではなく常に守りに偏ったポジションに配置されていた。当時はドカベンとキャプテン翼が好きで、古本屋に行っては少しずつお小遣いで漫画を買い集めていた。当時の野球部の背番号9番が縫い付けられたユニフォームに、袖を通した感覚を今でも鮮明に覚えている。

30年前のことでも鮮明に覚えていると考えると、30年間は長いようであっという間だったのではないか。30年と言えば、自分が子供だった年齢から親になるサイクルでもあり、自分の子供が親になるだけのサイクルだ。それでもあっという間に感じてしまう。

さて30年前の1991年から2021年の現在までに、大きく世の中は変化した。
特に説明の必要もないとは思うが、2000年代以降のテクノロジーの急速な発達で世の中は一変した。さらに今から30年後となる2050年までには、過去30年とは比べものにならないスピードでテクノロジーの進化は進み、世の中が大きく変わっているであろうことは容易に想像がつく。

ちなみに平成元年の”世界時価総額ランキング”で1位の会社はどこか知っているだろうか?
そう、かのNTTである。1639億ドルと、2位に900億ドル以上の差をつけて圧倒的な世界トップである。日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行、三菱銀行、東京電力といった企業が世界時価総額トップ10に入っており、海外企業でランキングに入っているのは米国のIBM、エクソンモービル、そして英国のロイヤル・ダッチ・シェルのみである。

平成元年当時は本当に日本は強かった。

しかし2021年の現在、世界の経済情勢がどう変わったかはご存じのことと思う。
GAFAMと言われるGoogle, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft、そしてアリババ、テンセントといった中国IT企業が世界時価総額ランキングのトップ10を占める。ちなみに日本企業で世界50位に入っているのはトヨタ自動車のみである。

2050年の日本はどうなるのか?

その中で我が国日本は今後、どうなるのか?
世界ビッグ4と言われる会計コンサルティングファームのPwcが、2017年に出したレポートで2050年の国別GDPのシュミレートをしている。

日本は2016年時点のPPP(購買力平価)ベースのGDPから最も成長率が低い先進国の一つとなり、世界GDPは現在の3位から8位まで後退する。
8位というのは、インドネシア、ロシア、ブラジル、メキシコなどの後塵を拝することとなるのだ。

そもそもの認識として、日本は現時点においても世界の国と比較して裕福すぎる国とは言えない。より実質的な国民の豊かさを示すと考えられる人口1人あたりGDP(GDP per Capita)では世界20位以下となっており、韓国と肩を並べるレベルだ。ここからさらに徐々に相対的な経済レベルを下げていくのが日本の未来である。

こう聞くと日本は大変深刻な状況に陥るように聞こえるかも知れないが、絶対値としての日本の経済レベルが落ちる訳ではない。したがって平均的な日本人の生活が極端に貧しくなってしまう訳ではないし、日本国民の生活が崩壊してしまう訳でもないので安心してほしい。日本は今後も縮んでいくが、引き続き世界の先進国であり、豊かな国ではあり続ける。ただ、今まで新興国・発展途上国と呼ばれていた国々よりも経済規模が小さくなり、所得が上がらずに明るい未来が描きづらい国にはなっていくだろう。

この相対的なGDPの低下は、日本における人口減が後押ししているのは、公然の事実である。
総務省の人口推計によると、2050年の日本の総人口は9500万人と、2021年の現時点から2500万人ほど減少する。高齢化率が40%に達することで、必然的に生産年齢人口も大幅に減少し、5000万人前後となる推定だ。

国力の衰退、その原因となる人口減少により起こる生産年齢人口の不足。
好むか好まざるかに限らず、外国人就労者がその穴を埋めることになるのは、いわば”必然”だと言える。日本の経済を支えるチカラの一部は純ジャパではなく、異なる血統とルーツを持つ外国人になるのだ。在日外国人同士、在日外国人と日本人のカップルも増え、外国人の血が入った子供たちも街中にも学校にもどんどん増えていく。そういわれると違和感を感じてしまう人もいるかも知れないが、そういう未来にならないと日本が享受してきた豊かさを維持していくことは出来ないということでもある。日本語が直面している少子高齢化の急速な進行を止め、”静かに老いて縮んでいく”にはそれしか道はないだろう。

もちろん日本がこれまでに築いてきた治安の良さなどの資産を、労働力の確保や豊かさの維持と引き換えにリスクに晒すことへの反対意見もあると思うが、国家維持の観点で言うと経済面を優先させざるを得ないのが現状だと考える。

職場の5人か6人に1人が外国人

そんな中で、私たちは「2050年 外国人就労者1000万人時代」をしっかりと考えていかなければいけない。

統計によると、令和2年10月末時点外国人労働者数は1,724,328人で、前年比 65,524 人(4.0%)増加ということだが、国土交通省がまとめた将来展望(参考資料1 2050年の国土に係る状況変化[2])によると、2065年時点で、「外国に由来する人口」は1076万人となる見通しになる。年齢階層別にみると、20-44歳では、「外国に由来する人口」が総人口の17.9%となる見通しとのことである。

私はこの数字はさらに前倒しされて現実になる(達成される)と思っている。つまり、2050年には「外国人就労者1000万人」という世界がやってくると考えている。これは単純計算で「職場の5人か6人に1人が外国人」ということだ。

医療技術の発展による人生100年時代の到来によって、私たちはその仕事キャリアをより長期目線で考える必要が出てきた。日本は、胴上げ型→騎馬戦型→肩車型と言われるように、減少する若年層が増加する高齢者を支え切れないという公的年金の破綻リスク(将来の給付額減額の可能性)もチラついている。今までのように60歳で定年となってそこからは悠々自適という人生はもう難しいだろう。私は正直に申し上げると、将来的に公的年金は将来は75歳以降の支給になると考えている。今の40代の人が、2050年には70代になる計算だが、まだまだ不足する生活費の補填のために働かざるを得ないという方も多くなるだろう。

確かに30年は少し遠い未来に見える。しかし、2025年は目の前だ。2030年まではもう9年を切っている。2035年、2040年、2045年と着実にその世界は近づいてくるし、その中で職場の中に外国人スタッフはどんどん増えてくる。企業の経営者にとって外国人は人件費の安い労働力ではなく、会社の成長を支える戦力としての期待が益々強くなるとことは間違いない。企業の人事担当に求められる外国人採用の在り方、そしてスクリーニング基準も変わってくるだろう。

実際に外国人社員を受け入れる現場のマネージャーや教育担当者には、仕事を覚えてもらうということだけでなく、外国人社員を職場に定着させ、長期で活躍してもらうための支援が求められる。多国籍環境の中で働くということが、もはや全ての日本人ビジネスパーソンにとって逃れられざる問題になると思う。

さて、こんな将来に、私たち日本人は企業人として、ビジネスパーソンとして、どうやって備えていくべきか。